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占星学エッセイ番外編
大志田寛子”The Triumph of Love”

今回は、ロンドンの占星学専門校、ファカルテイー(The Faculties of Astrological Studies)の通信コースで占星学の造詣を深められている、神奈川県在住の大志田寛子さんの書き下ろしをご紹介します。この”The Triumph of Love”は、ファカルテイーのサイトに掲載された寛子さんの投稿文の日本語版です。

寛子さんのプロフィールについては、セミナーページの過去セミナー、クリス・ハーウッドの「月の話」の項目をご参照ください。

日本在住の若い世代の方が、神話や世界史、美術史を学び、世相や音楽のシーンのシーンも交え、有機的な占星学を生きる知恵として学んでいらっしゃるのを見るのは、私としても嬉しい思い。ご一読ください。
ユキコ・ハーウッド

THE TRIUMPH OF LOVE

「Yes, I’m gonna win」と歌ったのは、MuseのMatthew Bellamy だ。「Race, life’s a race」という歌詞から始まっている「survival」という歌は、2012年のロンドンオリンピックのテーマソングにもなったので、覚えているひとも多いだろう。そこには、こんな単語がずらりと並んでいる。「Vengeance」「strength」「Fight」「Win」 、、、占星学を学んでいると、この歌のそこかしこに、こういったような火星と冥王星の象徴するものがちりばめられているとわかるだろう。

占星学で「戦い、欲望、勝利」を表すのは、火星である。人生というレースを戦い抜き、栄光を手にするには不可欠な要素だ。そして、絶対に諦めない、という不屈の精神、今こそ力を見せるときだと、精神を研ぎ澄ませ覚悟を決めるのは冥王星の得意分野である。
火星は元来「凶相」な惑星だとみなされてきた。この見方が伝統的解釈だとは言え、今でも、チャートの上で火星を見るとなんだか苦手意識を感じたり、冥王星を見て、心穏やかになれないときもあるだろう。だが、Museの歌にあるように、火星や冥王星的なものが賛美されることもある。なによりも、占星学を学んでいると、彼らの大切さを学ぶシーンは多い。火星は、自らの意志で人生を切り開いていくという逞しさを象徴し、恐れを知らずに果敢に勝負していくチャレンジャー精神を生み出す。冥王星は、たとえどんなことが起きようと、一歩踏み出し、昨日の自分を超える強さを証明するような体験を生み出す。この歌がテーマソングとなったオリンピックも、個々の力を存分に発揮し、勝利を目指して戦い抜くスポーツ競技大会(まさしく、火星の祭典!)であることに変わりはないし、オリンピックに出るためには、強靭な精神力で、4年間トレーニングに耐えなければならない。ときにはうまくいかないときもあるだろう。それでも、すべてを犠牲にし、昨日の自分を超えていくのだというような、ときには自分を一新させるような、尋常ならぬ固い決意が必要なものだ。すべては勝者になるため、火星と冥王星を連れ立った一か八かの勝負なのである。

この例はいささか特異なものかもしれない。普段の生活であれ、火星と冥王星、彼らのエネルギーはいろいろなシーンで求められる。例えば、仕事でコンペティションがあるような、大きなプロジェクトを任されたら?「Yes, I’m gonna win.」と、プロジェクトの成功のため、血のにじむような思いで必死に立ち向かうだろう。では、人間関係では?頭にくるからどうにかしてやろう、というのは、火星と冥王星の好ましくない使い方である。
私たちの人生で、火星と冥王星の必要性とはなんなのだろうか?いったい何のために勝利を求めているのだろう?火星と冥王星の必要性をひとつ表した神話が、エロスとプシュケの話ではないかと私は思うのである。

エロスとプシュケの話を簡単にまとめると、こういったものだ。
「あるところにプシュケというたいそう美しい女の子がいたが、彼女は美の女神であるアフロディーテよりも美しいと周囲にみなされた。まるでアフロディーテだというように、人間にもかかわらず、崇拝の対象となることもあった。アフロディーテはこれに怒りを感じ、アレスとアフロディーテの子供であるエロスに、恋の矢で彼女を打ち、彼女と身分にふさわしくない者と恋に落ちるよう命令を下す。このとき、アポロンの神託でも、「人間の男の夫を求めてはいけない」と伝えられ、プシュケは自分の宿命に絶望を感じ、泣き濡らして暮らす。
しかし、エロスは間違って自分のことを矢で傷つけてしまい、母アフロディーテの命に背き、プシュケと恋に落ちてしまう。エロスとプシュケは夫婦として結ばれるが、人間と神は夫婦になることはタブーである。エロスはプシュケを自分の美しい家に連れて帰るが、神と知れてはまずい立場にあるエロス、自分のことを絶対に見てはならぬと伝える。しかし、プシュケの幸せそうな姿を見て嫉妬した姉たちは、「お前はとんでもない怪物の妻になったのだ」と、夫の真の姿を暴くようプシュケをそそのかす。気持ちが揺らぐプシュケは、エロスのことを裏切り、眠っているエロスに手をかけようとする。その瞬間、プシュケはエロスが人間ではなく、神であることを知ってしまう。裏切られたエロスは傷つき、アフロディーテの元に戻るが、プシュケはどうにかして彼に許しを乞いたいとアフロディーテのもとを訪れる。
怒りに満ちたアフロディーテは、プシュケに試練を課す。まずは、「まぜこぜになった穀物の分別」。これは自然界からの助けを借り、プシュケはパスした。次にアフロディーテが課してきたのは、「獰猛な金色の羊の毛を取ってくる」ことと、「あの世の泉の水を汲んでくる」ことだ。ここでも、他の神からの不思議な助けを借りながら、プシュケはどうにか試練を乗り越えるが、その後、最後に課せられた「美の箱をあの世から持ってくる」の試練の誘惑に勝てず、永遠の眠りにつく。これを見たエロス、愛するプシュケの命を救ってくれとゼウスに懇願する。ゼウスがプシュケを神として蘇らせると、エロスとプシュケはついに神々の夫婦として認められるのである。」

この神話は、ある意味成長物語と見ていいだろう。では、いったいどんな類の成長なのであろうか?プシュケが意志を持つのは、愛するエロスを失った瞬間からだ。ようやくひとりの「意志ある」人間として立ち上がった彼女に、アフロディーテがかした試練は、「まぜこぜになった穀物の分別」、「獰猛な金色の羊の毛を取ってくる」と「あの世の泉の水を汲んでくる」というもの。これらの試練は、土星、火星、冥王星と関連があるように見える。穀物は土星の支配下に置かれるものだし(土星の神クロノスは農耕の神でもある)、金色の羊=火星に支配される牡羊座と、あの世の水=冥王星に支配される蠍座の世界を表現していると思えてはきはしないだろうか?例えば、美を愛するアフロディーテであれば、自分への貢物として、美しい花をたんまりとつんでこい。とも言えるのに、わざわざこのような試練を課したのである。

穀物の分類、土星が最初に登場している時点で、これは大人の自立した人生を自ら歩むための過酷な試練なのだと意味しているように思える。そして、その後アフロディーテは、牡羊座・蠍座的な試練を下してくるのである。牡羊座・蠍座は、いうまでもなく、火星と冥王星の支配下にある星座だ。これらと立ち向かい、ここに属しているものをとってこいと言うことは、自分のものにしろということにも見て取れる。すなわち、プシュケに足りないものはこれらなのだと、アフロディーテは告げていると考えられる。そして、興味深いことに、この話では、そこにいるはずの神が見当たらない。アレスはエロスの父であるのに、その名前すらでてこない。同じく、ハデスも、あの世を統治しているというのに、彼の妻であるペルセポネーしか出てこないのだ。プシュケは、あの世へ二回赴いているにもかかわらず!なぜ、火星の神であるアレスと、冥王星の神であるハデスは、その影すら見当たらないのだろう?私は、火星と冥王星の指す力の欠如、という意味で、このような不在が描かれているのだと考える。プシュケには、火星と冥王星の意味する強い意志、行動力、勇気が足りないのだと。アフロディーテの意地悪な試練は、プシュケの火星的・冥王星的なパワーを試すものだったのであろう。そして、見当たらないアレスにとってかわり、アフロディーテが怒りを表現しているのである。かよわい人間プシュケとの違いを明らかにするかのごとく。

これら土星的、火星的、冥王星的試練を乗り越えたのち、プシュケに最後に与えられた試練は「美の箱をあの世から持ってくる」ことである。一連の騒動で疲れたアフロディーテが、自分の美しさを取り戻すための「美」を、冥界にいるペルセポネーから持ってこいというのだが、この「美の箱」は、実は眠りを誘う箱である。(睡眠は確かに美にとっては大切なものなのだけど!)プシュケは箱を持ち帰ったのだが、自分のやつれた姿に恐怖を感じ、アフロディーテに渡す前に、「美を自分のものにしたい」と、つい開けてしまう。そして、プシュケは、あの世で眠りに着くのである。それは死(冥王星)を意味する。眠りについたとはいえ、これはプシュケの意志表現のひとつであるとも見て取れる。彼女は初めて自分の意志で自らの欲望を表現しているのだ。だが、その瞬間、彼女の人生は冥王星に奪われゆく。ここで彼女を救えるのは、エロス以外の他ならない。そして、待ちに待った登場である。
実はエロスも、ここで再登場するまで、自分の意志を持っていないように見られる。母親であるアフロディーテに命令を受け、プシュケに矢を放とうとしたり、そのプシュケが裏切ったと知れば、母親の元に帰る始末。エロスは男性ではあるけれど、火星的に自分の意志を貫き、自分の道を歩いていたとは言い難い。
しかし、ここで死という、冥王星の強大なる力を目にした瞬間、彼も初めて自らの意志で動き始めるのである。エロスの大きな大きな成長の瞬間である。愛している彼女を助けてほしいと、母親ではなく、神々の中の神(エロスのおじいさんにも当たる)ゼウスに懇願するのである。冥王星の象徴する、生まれ変わりを体験したのだ。

ゼウスはプシュケの頑張りを認め、彼女を神として生まれ変わらせる。神と神として、初めて夫婦として他の神たちにも認められたこの夫婦は、のちにヘドネ(喜び)という名の神の子を授かる。私たちは恋をすること(エロス)で魂(プシュケ)が喜びを感じることはあるけれど、勝利や成功、愛といった、私たちが心から欲するものために(エロス)苦しみや困難を乗り越えて何かを達成すること(プシュケ=魂の成長)、それが真の喜びにも通じるのだと示しているようにも考えられるだろう。
そもそも、この話は、ホロスコープで言う第8室が象徴する「禁じられたこと、別れや生まれ変わり」といった冥王星的なテーマから始まっている。エロスとプシュケは愛のためにタブーを犯す。そして別れを経験し、お互いに生まれ変わり(大いなる成長)を体験し、また結ばれるのである。彼らの冒険の舞台は第8室だ。第8室というステージの上で、成長という話が描かれたのである。おもしろいことに、彼らは冥王星的なテーマを共にクリアし(冥王星はコレクティブ・プラネット(集合体としての意識を示す惑星))、火星的なテーマは個々にやり遂げたのでもあった(火星はパーソナル・プラネット(個人レベルでの意識を象徴する))。
もちろん、この神話の解釈はそれぞれにより異なってくると思う。私は、この神話を「何事にも屈することなく、戦い抜く強さを持つことが、人生を切り開く、そしてすべてを変えていくことの大きな原動力である」、といっているものでもあると今は考えている。それは私たちの中の火星と冥王星に秘められた、心の中でマグマが沸き起こり、ハートが燃えるようなパワーを持ってしてしか、成し得ることはでき難いだろう。

さて、この神話の勝者は誰だろうか?プシュケだろうか、それともエロスなのだろうか?意志と行動力によって、勝ち得た愛。さぁ、これを聞いて、誰が「I’m gonna win」と歌うのであろう?
Museの「Resistance」という歌の中で、Matthew Bellamyは「Love is our resistance.」と歌っている。エロスとプシュケは運命に抗い、戦い抜き、運命すらもひっくり返した。さだめに立ち向かうという偉業を、果敢に強い意志を持って成し遂げ、彼らは勝利を収めたのだ。なぜそれができたかというと、「彼らは愛し合っていたから」という理由しかない。だから、私は、やはり勝者はアフロディーテだと思うのだ!まるでどこからか「Love is gonna win!」と高らかに歌う彼女の歌声が聴こえてくるかのように。